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タンピン系ドラマがビリビリで大ヒット、最高評価を獲得

ビリビリドラマ

中国メディア「電影雑誌」から「9.7点!ビリビリで国産ヒット作が生まれる」という記事を紹介します。


これは新しいタイプの女性をテーマにしたドラマです。

2020年以降、ドラマ映画コンテンツ市場では女性をテーマしたものが増えてきました。

しかし、大ヒット商品はほんの一握りです。

女性というジャンルには「婚活・妊活」「職場のお局様」「浮気夫」という3大テーマがあり、大体いつもこれらの話題ばかりで、視聴者に飽きられていました。

今回ご紹介するのは、これらとはまったく違うものです。

中国ドラマの常識を覆し「そんなのアリ?!」と思わず声が出てしまうほど。

他の中国ドラマがまだ女性の自立をうたい、不安を売り物にしている時に、このドラマはある種の安らぎを与えてくれます。

運命と戦わなくてもよい、もし転んだらそこでタンピンしろ(横になれ)と。

ドラマのタイトルは、休暇は突然やってきた「突如其来的假期

主人公の名はリュウ・レン、30歳の未婚者。

人は彼女を「ドリアン」と呼ぶ。

父がいないまま育ち、頼りにしていた母のリュウ・ミンジーから試験管ベイビーだと告げられた。

ある日、母が心臓発作を起こして死んでしまった。

突然一人ぼっちとなったドリアンは、泣くことも騒ぐこともなく、母の遺灰を腕に抱く。

困惑した彼女は、どこに行けばいいのかわからずに道を歩いている。

帰りのバスに乗ろうとした時、バス待ちの群衆に押されて倒れてしまった。

地面に横たわり、優しくも眩しい日差しを浴びながら、ドリアンはただ横たわっていることが悪いことではないと思った。

しかし、そこに母の姿が浮かんだ。母は「転んだら自分で起きなさい」と言っていた。

階段を下りると、ドリアンは長年の友人であり元彼でもあるニン・ユアンとばったり会った。

ニン・ユアンはドリアンが持っていた遺灰入りの壺を見て、何気なく尋ねた。

それは漬物か何か?

ドリアンは、返事もせず、喧嘩も売らなかった。

元彼がスーツを着ているのを見て、結婚式に行くと聞いたドリアンは、披露宴に付き合うことにした。

しかし、驚いたことに、その披露宴は大学時代の宿敵の結婚式だった。

この結婚式の新郎新婦とは、後に一緒にビジネスを始めたが、ドリアンが制作したイラストを彼女の同意なく権利を販売していた2人の旧友だ。

当時、この男女四人組は2つのカップルで、将来は結婚しようと約束していた。

その後ドリアンは彼とは喧嘩別れし、親友たちとも別れ、彼女は4人の中で一番「お呼びでない」人物だ。

悲しみが頭の中で次々と押し寄せてくる中、ドリアンは酒で悲しみを紛らわす。

ドリアンが帰ろうとした時、新婚夫婦に祝辞を送る「幸運な客」となってしまう。

ドリアンは気まずいと思いながらもステージに上がる。

そして「結婚不要論」のスピーチを披露した。

ドリアンは、その名の通り「トゲだらけのドリアン」であることを証明した。

長く疲れた一日の後、家に帰ると、いつも存在していると思っていた母の姿が見れないのは辛いものだ。

ドリアンは、母が残した草花の世話をしようとしたり、祖父に連絡を取ろうとしたり、社会との新しいつながりを作ろうとした。

しかし、そのような大きな変化から引き離すことはできなかった。

時間は待っていてくれないし、ドリアンが考えをまとめ、すべてを消化してから、次の旅に出ることも待っていてくれない。

やがて、その機会は訪れる。

ドリアンが3日ぶりにオフィスに戻ってくると、彼女のデスクエリアはすでに新人たちに占領されていた。

整理整頓をしていると、新人の妊娠報告書が出てきた。

上司はこのレポートをドリアンのものと勘違いしていた。

ドリアンは間違いを訂正しないまま、それを理由に1ヶ月間の休暇を取った。

母の死を言い訳にすることもできたが、それはしたくなかった。

ドリアンは、自分の傷を人に見せるとき、同情してもらえるとは限らないことを知っていた。

ドリアンは母の部屋を整理して、すぐに新しい住人、イー・ズーズーを迎え入れた。

呼びやすくするため、ドリアンは彼女に「マンゴスチン」というニックネームをつけた。

ドリアンとマンゴスチン、保存と削除。

残すべきものと、消し去ってやり直すべきもの。

ドリアンは、この突然やってきた休暇の間に、母と、そして自分自身との和解を試み始める。

ストーリー、見せ方、流れ、すべてにおいてこのドラマは新しい。

ドラマ内では、ストーリーを順を追って説明するのではなく、挿話を使用している。

まず、ドリアンの母の死のニュースが説明され、ドリアンの母との過去が挟まれる。

そのために、ストーリー中に特別な記憶のフラッシュバックが含まれている

ドリアンがナイトクラブで必死に踊っていても、母親は黙って見守っている。

ドリアンがお母さんの鉢植えをいじっていると、横に座ってくどくどと喋り続けている。

母は、自分が死んだら遺灰を砂時計にして、ドリアンに時間の大切さを教えようと冗談を言っていた。

灰の置き場所がないので、ドリアンは植木鉢の底に灰を置いている。

いつも家にいると思っていた母親も、ある日突然いなくなってしまうことに気づく。

近所の人が倒れて病院に入院しているとき、母の死の場面が蘇ってきた。

その時、彼女は自分を慰めるために手を伸ばそうとしたが、空を切った。

罪悪感、憧れ、無力感などの感情がすべてがよみがえってくる。

現実と虚構が交錯した対話を形成し、掴んで引っ掻くのではなく、少しだけ心に刺さる。

私の考えでは、「休暇は突然やってきた」では2つの感情が交差している。

1つの感情は、母の死であり、ドリアンは妊娠を口実に自分に長期休暇を与えるもの。

もう1つの感情は、母親の突然の死によって、それまで騒がしかった生活が淀んだ水溜まりになってしまい、ドリアンの精神がダウンタイム状態になっているもの。

マンゴスチンが母の部屋に住み着いてから、ドリアンの人生は少しずつ変化していく。

マンゴスチンはドリアンの前では慎重になることが多いが、時には無謀なこともする。

ドリアンにとって、彼女は若い女の子であり、面倒を見て、時々は改善のためのアドバイスも与えなければならない。

母親が生きていた頃のドリアンと母の関係は、ナマズ効果(Catfish Effect)のイワシとナマズのようなものだった。

人生の原動力であったナマズ(母)を失ったドリアンは、思いがけず母役になり、いつもマンゴスチンに前を向くように促している。

母役を演じることでドリアンが自分自身と和解しようとしている。

このドラマの主人公の女性は、中国ドラマの基本的な設定とは異なるものである。

彼女は自分の世界に対する哲学を持っています。

あえて人に媚びたり、自虐的になったりしながら、常にのびのびと人生の苦難に立ち向かっていく。

彼女はいわゆる世間のルールに縛られず、自分で多くの制限を設けることもない。

私たちは彼女の孤独の中に共鳴することができ、また、彼女の視点から愛、結婚、子育て、老いの問題を見ることができる。

ドラマが毎回「ドリアンのミニシアター 」で始まることも特筆すべき点です。

面白くて風刺の効いた、型にはまらない解釈の2~3分程度のミニシアターです。

後悔はつきものですが、人は常に自分の願いを叶えたいと思っています。

私たちは、今の一瞬一瞬が貴重であることを知りません。

一方では笑わせ、他方では魂に訴えてくるドラマです。

それは私たちに「人生は大したことない」と教えてくれます。

しかし、私たちはうまく生きようとしなければなりません。

自分のために、家族のために、そして後悔を少なくするために。

おわり


タンピンについては詳しく知りたい方は、こちらの記事をどうぞ

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