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アフターコロナは大量のビジネスマンが消える、社会は会社主体ではなく個人主体へ

アフターコロナ

中国メディア「黒猩猩智庫」から「徹底解説、次の3年で大量のビジネスマンが消える!新しいヒトたちが立ち上がる?」を紹介します。


旧勢力が倒れると、新勢力が立ち上がってくる。

これこそが歴史の鉄則である。

今の中国で、誰が沈み、誰が昇りつつあるのか?

この記事を読めば、きっと理解できるだろう。

はっきり言おう、ビジネスマンはもう必要ない

今から四十数年前、市場経済が始まった頃、中国社会にはビジネスをしようという風潮があった。当時、ビジネスを始めるには思い切りが必要で、思い切って行動した人は、最初のバケツ一杯のお金を稼ぐことに成功し、その後、ビジネスの道を歩み始めた。

今から二十数年前、アリババは「中国ビジネスの困難をなくす」というビジョンのもとに設立された。中国がインターネットの時代に入ると、インターネットに接続できる環境さえあれば、ビジネスができるようになった。

実際、この2つのビジネスの大きな波は、多くの人々を成功に導き、中国経済に大きな貢献をした。すべての人に起業するチャンスが与えられたこれらの経緯は、歴史に刻まれるほど大きなことだった。

しかし、今日、私たちはある深刻な事態を迎えている。それは「世の中にはもう良いビジネスは残っていない」という問題だ。

どうしてこうなったのか。

ビジネスが難しくなったのではなく、ビジネスを行うためのロジックが完全に変わったからだ。

従来のビジネスマンは、メーカーと消費者の橋渡しをするために存在していた。その存在価値は、基本的にモノの流通を早めることで、商品に付加価値をつけているわけではなく、唯一残ったこの価値は、インターネットに完全に置き換えられつつあり、特にAI/5G/ブロックチェーンの登場により、未来のモノはバリアフリーな流通を実現できるようになる。

従来のビジネスマンが今後、完全に淘汰されるというのは、決して警句などではない。

40年以上前の社会はチャンスに溢れ、思い切って冒険すれば一攫千金も夢ではなかったが、40年以上経った今、社会は落とし穴だらけで、人生は十面相の待ち伏せのようなもので、薄氷を踏むように歩かなければならず、気をつけなければ罠にはまってしまう。

周りを見渡してほしい。まだ何か良い商売ができるところはあるだろうか。

国富論」によると、好景気になると必然的に利益が減るという考え方がある。なぜなら競争によって価格がますます適切で公正なものになるからだ。

哲学的に言えば「誰もがビジネスを持っている、つまり誰もビジネスなど持っていない」とも言えるのかもしれない。

以前は多くのビジネスマンが社会の需要と供給に対応していたが、インターネットが発達した今では、多くのビジネスマンが間に入って需要と供給をつなげる必要はない。アルゴリズムとビッグデータにより、さまざまなニーズを正確に予測できるようになり、そしてすぐに生産が完了する。この時ビジネスマンは何をすればよいのだろうか。

これからの中国に最も必要なのは、様々な「ビジネスマン」ではなく、様々な「価値ある主体」だ。例えば、高い教育と豊富な経験を持った農業従事者、職人、知識人、デザイナー、医師、弁護士、作家、運転手、演奏家などである。

その多くは、非常に小規模だが柔軟性があり、社会に価値を生み出し、いつでも同等のリターンを受けることができる。

これまでは、顧客が見つからず、さまざまなビジネス組織に自分を売り込まなければならなかったため、ビジネスマンによって抑圧されていた。

中国は元々、商売よりも工業や農業を重視する社会だった

これを歴史的な観点から見るとしよう。

古来、中国の社会構造は「士農工商」の4つの言葉で描かれてきた。ご存知の通り「士農工商」とは、学者、農民、職人、商人の4つの民族のことです。

管子」において学者、農民、職人、商人の4つの職業が国の基礎であり、社会の礎である。

ではなぜビジネスマンが一番最後に来るのだろうか?

漢書」にはこのように書いている「故民弃本逐末、耕者不能半、贫民虽赐田、犹贱卖以贾。驱民而归之家、皆着于本、使天下各食其力、末技游食之民、转而缘南亩」。

これの意味するところは「農民は土地を耕さなくなり、職人も働かなくなり、人々は土地を持っていたが、それを商人に二束三文で売ってしまった」「農民は田畑に、職人は作業場に戻って、皆が元の位置に戻ってこそ、社会が安定して発展することができる」である。

ビジネスの流動性や投機性は、社会にとって非常に不安定な要素となる。ビジネスは経済的繁栄をある程度刺激することができるが、社会が一定の発展段階に達し、さらにその先に進みたいと思ったときには、皆が自分の場所に戻ることも必要である。

そのため「農業や工業を重視し、商業を抑制する」という方針を貫いてきた。もともと私たちは「商売よりも工業や農業に重きを置く」社会だったのだ。

改革開放前においては、中国の商業は極めて後進的で、商品の流通はおろか、社会に商品が存在しなかった。

そしてビジネスの扉が開かれ、「ビジネスのために海に出る」「インターネットで起業する」という2つの波を経て、大量の商品に囲まれるだけでなく、世界中で売れるようになったのだ。

しかし今、私たちは商業の行き過ぎがもたらす危機に直面している。その中でも最大の問題は価格競争だろう。

コストが7元のものがあり、あんたが9元で売るならあたいは8元で売る、お前が8元で売るならわしは7.5元で売る。中には6.80元で損をしてでも売りたいという人もいるが、それはまずみんなを騙してから市場を自分のものにしたいからだ。

つまり「自分が死ぬのはかまわないが、その時はみんな一緒だ。誰かが生き残るのを見るくらいなら、みんなで一緒に死んだ方がマシだ」という考えである。

または「他人の注文を盗むことで自分のビジネスを失う 」や「同業を飢え死にさせ、自分を疲弊させ、周りを道連れにしてもがく」とも言うことができる。

つまり価格競争の行き着く先は「みんながビジネスをしていれば、みんながビジネスをしていないのと同じで、一緒に死ぬしかない」ということだ。

淘宝(タオバオ)でたくさんの商品が19.9元(送料込み)で販売されているが、もう十分安いのではないだろうか。拼多多(ビンドウドウ)は9.9元(送料込み)でビスケットを販売している。また、少し前に倒産した淘集集(タオジジ)は、商品の値段があまりに安すぎたため、逆に信用を得ることができず、そのために客が集まらず、破産してしまった。

このようなプラットフォームの出現は、偶然ではなく必然である。インターネットの価値は、商品の収益性を無限に下げることなのだから。

今後もプラットフォームは増えていくだろうし、自分たちが今後何かをしても、他のプラットフォームやビジネスが生まれて、自分たちよりも安く売ってしまうこともあるだろう。

今後、競争はますます激しくなり、絶対的な完全競争になったときには、すべての製品の利益がゼロになってしまう。

利益がほとんど出ない時代にビジネスマンが存在する必要があるだろうか。

将来のビジネス

今後儲かる産業は2つしかない、サービス産業と教育産業だけ

あと3年もすれば、大量のビジネスマンが消えてしまう。しかし、ある集団が倒れると、必ずある集団が立ち上がる、これが歴史の鉄則だ。

多くのビジネスマンがいなくなったとき、さまざまな「価値主体」が立ち上がってくるが、これこそが中国の未来の真のバックボーンである。

中国経済の後半では、社会構造が「物質構造」から「知識構造」へと変化していく。

これからの時代、文化を持たない人間がお金を稼ぐことは基本的に不可能となる。なぜなら、知識、影響力、精神的な心地よさ、などの無形のものからお金を稼ぐようになるからだ。マルクスの言う需要に応じた分配とはこのことであり、物が豊富になれば必ずこの状態になるのだろう。

多くの企業は、製品でお金を稼ごうとはしておらず、製品を価値のある媒体と見なし「利益は後から着いてくる」と考えている。例えば、多くの書店は、もはや本を売ってお金を稼ごうとは思っていない。代わりに、読書会を開き、365元を支払えば10冊の本が送られてくる。そうすることで、みんなが一緒に学ぶ機会を設けることができ、より多くのビジネスモデルを適用できるようになるのだ。

同じ理屈で、多くの正規カーディーラーは、車を売ることで儲けることを止めており、代わりに保険、メンテナンス、改造、オーナーシップイベントなどで利益を出している。これも利益は後から着いてくる考えだ。

これからの時代、儲かる産業は2つだけで、1つはサービス産業、もう1つは教育産業しかない。自分がヒトより劣っている場合は、ヒトに仕えなければならず(サービス産業)、逆にヒトより優れている場合は、ヒトを教育しなければならない(教育産業)。

この2つの産業に向けて、自らを変革し、アップグレードできない企業は、間違いなく将来的にお金を稼げなくなるか、苦労してほんのわずかなお金しか稼げない状態になる。

40年前のビジネスはモノが中心で、モノに頼ってお金を稼いでいたが、今はヒトが中心で、ヒトにどう奉仕するか、どう高めていくかを考えてビジネスを進めていかなければならない。

今後は、多くのフリーランサーや無数のプラットフォームが登場し、価値の創造や輸出に参加する機会が与えられることになるだろう。能力が高く、個性的で専門性の高い人ほど、会社に執着する必要はなくなる。

未来では、一人一人が独立した経済活動を行い、個人の創造性が大きく発揮されるようになる。ニッチを見つけられない人は、生き残るために組織的な取り決めに頼らざるを得ないため、確実に社会の底辺に追いやられることになるだろう。

中国はこの流れを見て、これまでの企業中心から個人中心へと、税制、社会保障、さらには法律など、個人経済の発展を支援するさまざまな政策の導入を始めている。

未来の世界では「3つのない」が普通になっている

1)ビジネスがない。かつては社会の「需要」と「供給」に常にズレがあったため、そのズレを調整するためのビジネスマンが存在していたが、インターネットによって「需要」と「供給」が直接つながった。従って卸業・仲介や価格マージンがなくなり、ビジネスにならなくなった。

2)やるべきことがない。昔の人は、会社の中で命令を実行または従うだけでよく、サラリーマンの本質はそこにある。会社のプラットフォーム化と個人の台頭という流れの中で、あなたが主体となって考え、問題を解決し、社会に価値を生み出すための能力を発揮しなければ、あなたの価値はないだろう。

3)投資の機会がない。未来はビッグデータの時代であり、誰もがどこにいるのか追跡され、記録されるようになる。私たちはオープンで透明性のある方法で活動を遂行するように適応しなければならない。

ビジネスマンが大量にいなくなるということは、これからの社会は投資ではなく、労働によって富を生み出すという、文明社会の原点に戻るということだ。

中国経済を人体の血液循環に例えるならば、個人の成長は人体の毛細血管を豊かにし、人体全体の血液と酸素の供給能力を大きく向上させる。

中国のすばらしい時代は始まったばかりで、私たちが考えなければならない唯一の課題は「最高の時代に最高の自分になるにはどうすればよいか」ということではないだろうか。

おわり


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