中国の若者が働かない現象「寝そべり主義」は日本でも随分と話題になっていますが、英語でも「lying flat」と英訳された記事が出回り、アメリカ人からも驚きの声が上がっているようです「ホワイ チャイニーズ ピープル!」と。
冗談はさておき、梅雨時の上海は街全体がくすんだグレーで染まるため、窓の外に広がる景色も面白みがありません。
天気が良い早朝なら、自宅から遠く離れた「虹橋空港」から飛び立つ飛行機の姿を肉眼で見ることができるのですが、7月中旬までは無理そうです。さて今日も中国メディアを巡回していたら、こんな記事を見つけました。
「清華大学と北京大学を卒業した16人の医師がメスを置いて焼肉の帝王に変身」
内容はこんな感じです。
一日の授業を終えた清華大学の学生たちが向かう南門エリアには「裏通り」と呼ばれる飲食店が軒を連ねる通りがある。夜になるとライトアップされ、通りは人で溢れ、どこまで行っても良い香りが漂う。その中に、来店客を「患者」と呼ぶ少し変わった焼肉店がある。店の名は「ランセット」。
ランセット徐州焼肉店は、外科医の「王健」(ワンジェン)と15人の北京大学と清華大学出身の医師が一緒に作ったお店だ。
純粋な医者であり続けるために副業に留める
江蘇省の徐州から清華大学に進学し、外科医となったワンジェン。焼肉店を開いた理由を聞かれる度に、義憤に駆られて拳を握りながら説明する。
数年前、彼がまだ清華大学の学生だった頃、食堂前の下水道から、地溝油(ドブ油)を汲み取っている人を何回も見かけた。ドブ油の人体への危険性をよく知っていた医学生のワンジェンは、すぐに警察に連絡し、この人たちを捕まえてもらうことにした。
しかし、ドブ油の汲み取り屋は警戒心が強く、警察の姿を一眼見るや慌てて逃げてしまった。後日、逮捕されたのは思わぬ人物だった。なんと大学近くにある、ワンジェンと同級生が日頃から通っていた焼肉屋の店主が「ドブ油を使った」という理由で逮捕されたのだ。
このニュースを知ったワンジェンたちは、まるで「ネズミのフンでも食べたかのような気持ち悪さ」を感じた。そしてこの小さな出来事は彼の心に大きな種を植えつけることとなった。

ワンジェンは卒業後すぐに「北京協和医院」で勤務医として働きはじめた。
ある日、仲間数人でドライブに出かけた帰り道、大事故を起こしてしまった。高速道路での事故だったため、救急車が到着するまで30分以上はかかる。意識があったワンジェンは自分が怪我をしているにも関わらず、意識が無い仲間の体を支え、全身の力を振り絞って応急処置を施した。救急車が到着し、見慣れたライトが見えた瞬間に、意識が抜け落ち、地面に倒れ込んでしまった。最後にはワンジェンも救急車で集中治療室に運ばれた。
ワンジェンは重傷ではなかったため、補償金をすべて致命傷を負った友人に譲ったが、それでも治療費が足りない。ワンジェンたちは募金活動を始め、友人の命を救うのに十分な資金を集めることができた。
普段はお金が足りないなどと感じることはないが、事故や病気になると、自分の収入だけでどうにもならず、限界を感じてしまうというが一般的な感覚だ。経済的な不安から解放でき、さらに、純粋に医師として活動できるような「副業」はないものか、ワンジェンは考えるようになった。
どんな副業をすべきか。ワンジェンは学生時代にドブ油を使っていた焼肉屋の店主や、夜に食堂前の下水からドブ油を汲み取っていた連中のことを考えていた。その瞬間、「あのような悪徳商売人を廃業させる」という目標を思いついた。焼肉屋を開き、安全な油を使うことで悪どい商売人たちを倒すのだ。
ワンジェンは信頼できるから私も加わるよ
ワンジェンは昔から行動派だった。やると決めたら最後までやる。彼は学生時代の親友である「程絹」(チェンシー)に連絡を取った。チェンシーは学生時代のメンターで、よく一緒に研究をしていた。チェンシーは実行力と商才に長けた女性だ。学生時代から空いた時間を使って自分で学費や生活費を稼いでいたし、それなりの資産を蓄えていた。ワンジェンが初めてチェンシーに自分のアイデアを話したとき、彼女は「毎日仕事で死ぬほど忙しいのに、焼肉屋を開いて運営する時間なんてあるわけないでしょう」と鼻で笑った。

生まれながらにして粘り強い性格で、一度思ったことはやり通すワンジェンは、半年の間に、実行可能な焼肉店プランを考え出し、その度にチェンシーに声をかけ実用性について議論した。ワンジェンとチェンシーは会う度に新しい焼肉屋に向かい、次第に焼肉通になっていった。半年後、チェンシーは彼の粘り強さを認め、ついに参加することに同意した。
「彼が儲けようが、損をしようが、ただ人として応援するためです」とチェンシーは言う。ワンジェンが、仲間たちにこの嬉しいニュースを送ったところ、10数名の同級生も参加したいと答えてくれた。親友の治療費の募金のために奔走するワンジェンの姿を見ていた同級生は口を揃えて言う。「ワンジェンは信頼のおける仲間だし、一緒に事業をやりたい」と。結局、ワンジェンの手元には80万元の開業資金が集まり、計画通り「ランセット」がオープンした。
安心できる油と肉で健康的な焼肉を提供する
ワンジェンと仲間たちは、安心して食べれるお店にするため、3つのルールを設けている。1つ目は、肉は事前に漬け込まない、焼く直前に漬けることで、長時間の漬け状態で有害物質が発生するのを避けるためだ。2つ目は、健康と衛生のために、炭火のグリルは絶対に使わず、電気グリルを使うこと。3つ目は、油は1回だけ塗って、そのブラシは捨てる、何度も使うことは絶対にしない。4つ目は、冷菜も含めて、すべての料理は当日に作ること。

昼間は医師として働くワンジェンたちの職業病は、本人たちが思っていた以上に根深いものだった。「厨房が狭いので、入り口で患者さんを待たせてください」、「フロントが呼び込んでも、ベッドがあいてませんよ」など、知らない人はここが病院だと思ってしまうような、呆れな叫び声がよく聞こえてくる。
このありえない掛け声が店の特徴となり、来店客も、この店が善良な医師たちが作ったことを知り、また料理や油の品質が保証され、店内の掛け声も面白いため、クチコミで話題となり「ランセット」の焼肉事業は徐々に盛り上がっていった。
学術論文の投稿者は割引が効き、現金を手にすることもできる
「ランセット」が少しづつ有名になり、順調な焼肉事業に喜びを感じていたワンジェンとチェンシーだが、彼らの野望はそれだけではなかった。彼らは、仕事で忙しい一日を過ごした後、仲間が楽しく繋がることができる医師の拠点を作りたいと考え、彼らにあるキャンペーンの提案をした。それは、SCI(Science Citation Index)の学術論文を発表した研究者には、割引が適用されるというものだ。
SCIは1961年にアメリカで創設された国際的な学術雑誌である。対象分野は医学、生物学、自然科学、物理学、化学、金融、芸術で、歴史的意義と科学的価値を備えた人類文明の図書館とも呼べるものだ。
このような重みのある雑誌ほど「インパクトファクター」は大きくなる。「インパクトファクター」が大きいほど、割引率が高くなるとした。例えば、国際的に高く評価されている「Lancet」誌に学術論文を投稿し、「インパクトファクター」が47であった場合、470元の割引を受けることができる。食事代が470元以下であれば、残りは現金でもらうことも可能だ。

ワンジェンたちの動きは、北京の医学界にも波紋を呼んだ。大御所たちが大挙して店にやってきて、しまいには「Lancet」誌の編集長であるSummerskill氏まで連れてきて、ワンジェンたちを賞賛した。事前に通知も入れず、他の客と共に30分並び、18本のヤギ肉を平らげてしまったそうだ。会計時は、レジではSCIの割引記録帳をめくりながら「とても楽しく、料理も美味しかった」と褒め称えた。Summerskill氏ほどの人物なら確実に飲食代が無料になるところだが、どうしても全額払いたかったようだ。
副業で本業を支えている若い医師たちは、初心を貫き、患者を診る、人を救うという崇高な理想のために、そして安心して善良な医者になれるように、たゆまぬ努力を続けている。
おわり
「清華大学と北京大学を卒業した16人の医師がメスを置いて焼肉の帝王に変身」というタイトルはいささか大袈裟ですが、このワンジェンや仲間の医師たちが焼肉屋を開くことはとても理にかなっていて、納得できるストーリーでした。
日本では先生と呼ばれる、政治家、医師、弁護士、教師は、国に守られている職業で一旦組織に入ってしまえば、それなりに安泰な人生を歩むことができます。特に医師は医局に反かない限り高い収入と社会的ステータスを享受できる人気の職業です。
ところが中国において医師(勤務医)という職業は、専門職の一つという位置付けであり、社会的ステータスも収入も特別に高いわけではありません。極端に言えばプログラマーと同じ扱いです。
一昔前、優秀な子供には、苦労する医学ではなく、コンピュータサイエンスか経済(金融工学)の道を薦める親が多かったのは、そちらの方が将来多く稼げると考えていたからです。
職業に甲乙付けるつもりもありませんが、稼ぎ具合だけで見れば、確かにプログラマーや金融スペシャリストの方が比較的多く稼げるチャンスが多いようです。