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中国のデュアルライフ(二拠点生活)若者夫婦物語(下)

上海の夕日

今回は中国の「二拠点生活」を送る若い夫婦たちの物語です。

恵州に住んで深圳で働く夫婦、北京と石家荘を相互に行き来する夫婦のストーリーはこちらからどうぞ。

中国のデュアルライフ(二拠点生活)若者夫婦物語(上)

折り畳み椅子を地下鉄に持ち込み昆山から上海に2時間かけて通う

劉さん(男性、30歳、ネットワークエンジニア)

昆山に住み上海で働く(Googleマップが開きます)

2016年、魔都(上海の別称)の不動産価格が再び急上昇し、この街で家を買うという夫婦の目標はかなわぬ夢となりました。

仕方なく上海近郊の家を見て回りました。不動産仲介の担当者が紹介してくれたのは、上海地下鉄11号線の終着駅に隣接する花橋と呼ばれるエリアの物件でした。

私と妻は何も言わずに即購入しました。家の引き渡し、リフォーム、引越しを経て、2つの街に住むようになり、地下鉄11号線が通勤手段になりました。

私が働く会社は上海の中心部にある江蘇路(Jiangsulu)駅近くで、妻の会社は馬遊城(Maxicheng)駅近くにあります。私は江蘇路駅で下車しますが、彼女はさらに徐家匯(Xujiahui)まで行き、そこから1号線に乗り換える必要があります。

11号線は上海の地下鉄の中でも最も混雑する線の一つですが、花橋駅は終着駅のため、昼間や夜間はそれほど混むことはありません。しかし、早朝の時間帯は地下鉄の車輌ドアが開くと、列の順番も関係なしにすべての人が一斉に駆け込んで席を取ろうとします。拡声器を持ったスタッフが怒鳴りつけることもありません。

よく見かける面々には二拠点生活の苦労がにじみ出ています。

花橋駅を出発して10分、地下鉄の中で熟睡している人が多く、スマホをいじっている人はいません。席がなく立ったままうたた寝している人もいます。地下鉄の車輌内はまるで睡眠ポッドのようで、エネルギーの充電が完了した人たちを次々と送り出していく。

最初の二駅を使う通勤者は、わざわざ終着点である花橋駅までやってきて、始発電車で座席を確保してまた来た道を戻り市内に向かう。座席を確保できない人や、地下鉄で2時間も立っていられない人もいて、小さな折り畳みの椅子を持ち歩いている。

私と妻は、他の人と座席を奪い合うのを嫌って、小さい折り畳み椅子を2つ買って、昆山から上海までずっと座っていました。自分たちのことをよく「大都会のモダンな出稼ぎ労働者」と嘲笑した。

11号線は中心部に近づくほどに人が増えていきます。少し混み合った車輌内で小椅子に座っていたりすると、見下されているような圧迫感があります。ある時、妻の頭上に外国人が向かい合って立っていたのですが、妻が赤面していました。この時初めて、私は男としての劣等感を感じました。快適な生活を妻に提供できない自分のことが情けないと思ったからです。

その後、11号線では折り畳み椅子の持ち込みが禁止され、毎朝、プラットフォームのアナウンスで「折り畳み椅子の使用はご遠慮ください」というセリフが付け加えられました。この11号線だけの変わったアナウンスは、他の路線では聞かないでしょう。

この路線で通勤する人たちに生活らしい生活はなく、あるのは生存だけです。

私は普段から残業が多く、妻の方が先に帰っています。彼女の帰宅時間は8時過ぎ、私は10時過ぎです。

彼女が夕食を作ったときには、もう9時近くになり、夕食を終える11時ごろになると、窓の外は照明が消えて静寂と暗闇が広がっています。私と妻は、この静かな町で深い眠りにつき、翌朝、また11号線に乗り込み、大都会に向かいます。

もっとお金を稼いで上海で家を買い、1号線に乗って通勤するというのが私の唯一の夢です。

愛は通勤に勝てず離婚へ

連城さん(女性、36歳、流通・小売業)

北京と天津を行き来する(Googleマップが開きます)

私は新卒で外資系デパートに就職しました。最初は華やかな仕事に見えたのですが、ここ数年は業界全体が伸び悩んでいたため、毎年年末には「社員の大量解雇」が噂されていました。

ある日、全社員で商品カタログ配布のための準備作業をしてのに、その次の日には解雇リストが発表され、それぞれの道を歩むことになった。

私も解雇リストに入っていました。

新卒で入社して以来ずっと勤めてきた私は、多少の退職金はもらえたものの、焦りを感じずにはいられませんでした。退職後たくさんの履歴書を送り、出版社での仕事にありつけました。

月の給与は4,500元(8万円)程度でしたが、これだけの給料ですら得るのは簡単ではなく、業績を測る計算やKPIなど何重にも行う必要がありました。

当時、私は結婚して半年しか経っていませんでした。3ヶ月前、友人に勧められて、天津市武津区にある大手の全国チェーン・スーパーマーケットの店舗責任者ポジションに応募してみたらどうかと提案されました。

社員を大切にする社風だそうで専用のシャトルバスを用意して、天津と北京から従業員を毎日運んでいます。北京からだと片道2時間半かかるそうです。通勤が難しい社員には、会社が社員寮を用意していて、食堂もあるようです。。

私は迷わず履歴書を提出しましたが「結婚は隠す」ことにしました。幸いなことに戸籍はまだ別になっていたので、何の問題もなく会社に入ることができました。

私は、同僚との無駄な交流を増やさず、一定の距離を置くために、実家暮らしで1日往復5時間の通勤を選びました。夫は普段、十分な睡眠時間が取れず、できる限り急いで天津市武清区から北京の自宅に戻り、また武清区に向かう生活でした。

二人とも疲労が極限に達しているにも関わらず、決して疲れたとは言いませんでした。

一度だけ、二人でいる時間を長くするため、私は仕事が終わった後に彼が迎えに来るのを待って、一緒に車で北京に帰ることにしました。その結果、深夜の高速道路で過積載のトラックと自分たちの車があわやぶつかりそうになり、しばらくの間、二人とも動けませんでした。

彼が眠気を防ぐために自分の頬を打つ姿を見ていると、私の目にも涙があふれてきて、二度とあんな遅い時間に運転して帰らせないと心に誓い、休養日以外は運転して帰らないように言い聞かせました。

しかし、一緒にいる時間が少なすぎて、最後には話題すらなくなってしまいました。やはり深い愛は長い付き合いにはかなわないもので、二拠点生活が始まってまもなく、私たちは離婚しました。

それ以来、私は結婚生活で一番大切なのは「パートナー」だと思うようになりました。

乗り越えられない空間と時間の問題は、二拠点生活を送る夫婦の最大の離婚原因です。

おわり


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