中国メディア「虎嗅」から「羽生結弦はどこに?」を紹介します。

出場する前から頻繁に名前が上がるほど大人気の主人公がいる。
「羽生結弦はどこへ行った?」
「羽生結弦は今日到着したのか?」
「世界中が羽生結弦を探しているような気がする」
ここ数日、あるネットユーザーは、スケートリンクに選ばれた男、羽生結弦選手(喘息克服者)が冬季北京オリンピックに出場しないのではないかと心配している。毎日、朝起きてまずすることはネットニュースで「羽生結弦が見つかったか」のチェックだそうだ。
世界中で愛されている「氷上の王子」の行方が気にするのも無理はないだろう。
2月2日、東京の羽田空港から北京に向けて飛び立ったアイススケート日本代表チームには、宇野昌磨選手や坂本花織選手といった有名選手が名を連ねていたが、冬季オリンピック男子シングルで2連覇を果たした羽生結弦選手の姿はなかった。
2月3日、冬季オリンピック前のトレーニングとして、羽生選手を含む公式練習スケジュールが予定されていたにもかかわらず、彼は結局姿を現さなかった。
羽生選手は、団体戦が始まった2月4日も欠場している。開会式に参加した日本代表団の中にも、彼を見つけることはできなかった。
日本側の代表団は、彼の正確な居場所について口を閉ざしていた。伊東秀仁代表はマスコミの取材に応じ「残念ながら、選手の個人的な渡航に関する情報については、お答えすることができません」と述べた。
羽生選手は一体いつ来るのか、いや、そもそもやって来るのか、謎が謎を呼び、ネットで大きな話題となっている。
「日本チームの飛行機に乗り遅れ、凍った海を渡って来ている」

また、羽生選手らしき人が防護服を着て飛行機から降りた写真は、実は女性ボランティアが「結弦が好きだから」という応援の気持ちで結弦選手のことを「Yuzuru」と書いて撮影したことが後にわかった。

さらには、あるテレビ中継で細部をよく見てみると、スケート競技の団体戦の記者席のテレビ画面に、Yuzuruの名前の後に「WD」という謎の英語が表示されているのを発見した人もいた。WDは「Withdraw」、つまり「棄権」という意味であり、これは何か悪い意味ではないかと一部のユーザーは憶測を立てている。

すでに「プーさん」を握りしめて応援する気満々だったファンも、羽生選手の北京冬季オリンピック出場の可能性に霧がかかり、不安な気持ちになっている。
日本スケート連盟は2月3日、羽生選手からファンに向けた大会前のメッセージをいち早く公開し、その中で「北京冬季オリンピックでは優勝して本物の4週半を跳べるように頑張りますので、応援よろしくお願いします」と述べている。

2月4日、日本オリンピック委員会は、羽生選手が冬季オリンピックに向けて書いたメッセージも公開した。「北京冬季オリンピックが選手のために安全な競技空間を作るために努力してくれたことに感謝し、素晴らしい演技を披露します」
結論としては、北京到着日はわからないものの、やはり来るということで、おそらく2月8日に行われる男子シングルスケートの競技開催時には姿を出すのではないだろうか。
今年の冬季オリンピックで最も話題となっている外国人選手を投票で選ぶとしたら、羽生結弦選手はダントツでトップだろう。
日本で圧倒的な人気を誇る「氷上の王子」は、日本だけでなく中国でも大変な人気者だ。
昨年、日本のファンが、新型コロナウイルス流行で観戦に来れないため、中国のファンに、羽生選手の試合での応援を依頼し、それを知った外務省の華春瑩報道官が「安心してお任せください」と日本語でつぶやいた。
今年、冬季オリンピック選手の応援ハガキを集めるキャンペーンで、北京冬季オリンピック文化活動部の陳寧部長が「今、羽生結弦選手のファンレターはこの厚さだ!」と手振りを交えて紹介していた。
冬季オリンピック選手は何千人もいるが、なぜ羽生結弦選手はこれほどまでに人々の心を動かすのだろうか。
それはおそらく、彼が歩く伝説のような存在だからだ。
人生がドラマだとしたら、彼は2つの脚本を持っている。ひとつは少年漫画の「熱血スポ根」ストーリー、もうひとつは少女漫画の「美と不幸」のストーリーだ。
美しさは最も直感的なもので、長くしなやかな身体と端正な顔立ち、欧米の選手が支配していたアイスリンクに東アジアの「みずみずしい山々を抜き吹けてやってきた」ような清涼な風をもたらした。
CCTV(中央電子台)のコメンテーターも、解説のポイントになるたびに詩的な表現を使わずにはいられなかったようだ。
「容颜如玉,身姿如松,翩若惊鸿,宛若游龙」顔は玉(ぎょく)のように美しく、体は松のようにしなやかで、龍のように優美に泳ぐ
「幸得识卿桃花面,从此阡陌多暖春」私はあなたの桃の花の顔を知ることができて実に幸運で、それからの道は暖かい春でいっぱいである
解説者の陳滢(チェンイン)さんは彼をこのように賞賛したが、今でも主要な解説欄でよく引用されるセリフの一例となっている。
何年も何年も練習していれば、技術をひけらかすことは簡単だが、羽生選手の技術は、春風が雨に変わるように、常に卓越した音楽・芸術表現に組み込まれており、曲の終わりには、技術的な力強さはなくなり、自然の美しさだけが人々の記憶に残るのである。

彼が強いことは確かな事実だ。彼と同じ時代の選手に同情さえする。このような才能を持った選手が相手であることは、なんと幸運で、なんと不幸なことだろう。
冬季オリンピックと世界選手権を2回、決勝を4回、四大陸選手権を4回、全日本選手権を6回、そしてジュニアから青年まですべての入賞を果たした男は彼を除いて他にない。
現在、フィギュアスケート男子ショートプログラム、フリースケーティング、総合の3つの世界記録を持つ彼は、挑戦するたびに自らの記録を置き去りにしていくのである。
2015年のNHK杯で世界記録を更新したときは、2位の選手に60点近い差をつけていた。
地獄のような難しさのアクセル4回転半ジャンプ(4A)を除く、6つのジャンプ技はすべて完璧だった。
羽生選手にとって、この記録は誰にも破られていないものだった。
「挑戦したいのは自分自身だけ」
羽生選手が自分自身を奮い立たせる言葉、それは「勝つこと」だ。
2014年2月、ソチ冬季オリンピックで羽生結弦選手はオリンピック初の金メダルを獲得した。しかし、この時はまだ、中国の観客にとって最も印象的なパフォーマンスではなかった。
しかし同年の年末に開催された中国GPでの「血色魅影ースカーレット・ファントム」の滑りによって、中国人にこの若者の存在が広く知れ渡った。
フリースケーティング練習中に、羽生選手と中国の闫涵(ヤンハン)選手が衝突してしまった。2人は地面に倒れ、羽生選手は首と額をアイススケートで切り、氷上で出血、腹部と左足も衝撃の際に大怪我をしてしまった。
長い間倒れ、立ち上がるのも困難な状態であったにもかかわらず、簡単な包帯を巻いただけで試合復帰を選択したのである。5分足らずの間に、立て続けに5回も転倒し、立ち上がるたびに苦痛に顔を歪める。
なんとか笑顔を取り繕って滑り終えたが、リンクを降りた途端、コーチの腕の中で汗だくになって倒れてしまったのだ。
結局、羽生結弦選手は難しい技を小技でカバーし、奇跡的に2位をキープした。
しかし、レース後のインタビューで彼は「このような惨めな結果に屈したのは怪我をしたからだとは思わないでほしい。すべては普段のトレーニングが足りなかったからで、体力の問題だ」と納得のいかない様子で語った。
多くの偉大なアスリートと同様、羽生結弦選手も怪我に悩まされ、近年は右足首の大怪我で苦戦を強いられている。
メジャー大会の前には、身体的な観点から彼を賞賛する声が聞かれた。
しかし、熱血スポ根漫画の脚本も操る主人公として、羽生結弦選手は決して負けを認めることはなかった。
羽生選手は、最初から人一倍多くのものを与えることを宿命づけられていたのだ。
喘息に悩まされていた4歳の頃、羽生結弦は運動不足解消と外気に触れることを目的にスケートを習い始めた。
しかし、喘息のため高い強度を長時間維持することが難しく、他の人が30レップで達成するのと同じ結果を得るためには、60レップを行わなければならないこともしばしばだった。
阿部奈々美前監督は、「人の倍以上の努力をし、自分の才能を最大限に発揮するためにひたすら努力した」とコメントしている。
羽生選手は、怪我でリンクに出られないときも、練習用ビデオと比較して「イメージトレーニング」を何度も繰り返し、シミュレーションで姿勢や視線を頭の中で調整した。
「努力は嘘をつく、でも無駄にはならない」
東日本大震災が発生した際、氷の波の中、四つん這いでリンクから這い出てきた少年は、練習場所を失ってしまった。50回に渡るコマーシャルショーへの出場で得た全収益を地元復興のために寄付した。
世界選手権直前、右足の靭帯を痛めたため、確実で時間のかかる治療を見送り、3カ月間、鎮痛剤を飲み、自分の体重の5倍もの重さを氷上に落とす衝撃に耐えて、練習を終えた。
その長い苦労は、映画では必ず盛り上がるBGMとともにフラッシュを浴びせ、彼を他の誰にも負けない頂点へと押し上げた。
しかし、熱血スポ根マンガの主人公のように頂点に立つと、まだ少しつま先立ちの余裕があるように感じるのだ。
ある日本の番組のエピソードで、彼は謙虚さを見せながらも次のセリフを口にした。
「金メダルは人生の始まり」

羽生選手は、北京冬季オリンピックではまだ誰も完成させることができない最高峰ジャンプ「4A」に挑戦するそうだ。
「4A」とは、1秒間の失速時間の中で4回転半(クアッドアクセル)した後、スムーズに着地することを意味する。通常の4回転ジャンプに比べ、羽生選手の4Aは半回転分さらに長く跳ぶことになり、「人間の身体能力の限界に挑む」ことになる。
「氷上の王者」エフゲニー・プルシェンコ氏を指導したロシアスケートのゴッドファーザー、ミシンコーチは、「現在の人類の身体的発達の状況からして、この技を披露するスケーターを見ることは一生ないだろう」と断言していた。
そして今回、羽生結弦選手は、4回転半の基礎点が4回転ジャンプよりわずか1点だけ高い、コストパフォーマンスが良いとは言えない技を北京冬季オリンピックに持ち込むことを決意したのである。
27歳の羽生結弦選手は、もう若くはない。
ちょうど昨日、今回の羽生選手のライバルと呼ばれているアメリカのスケーター、陳巍(チェンウェイ)選手が団体戦で111.71点を叩き出し、羽生選手の持つ世界記録111.82点に接近したばかりだ。
しかし、羽生選手はこういうだろう。
「4Aは僕にしかできない技、僕以外に一体誰ができるというの?」
おわり
※羽生選手は6日未明に北京入りしたようです。