Twitterでも中国最新ニュースを発信中!

ロックダウン解除直後に上海を離れる残念な人たち

上海のロックダウンが始まる直前、我が家の隣に、中年男(40代後半)と少し若めの女(20歳後半)のカップルが引っ越してきて同棲を始めたようですが、2ヶ月間の強制引きこもりロックダウン中にお互いの嫌なところが見えてしまったのか、ロックダウンが解除された次の日には、大量の荷物と共に若い女の方が出ていった。

廊下に積み上がった荷物の山を見ながら、この隣人カップルもロックダウンがなかったら、もう少し長い間、仲良く一緒に暮らすことができたのかもしれないな、と思った。

ともあれ、マンションの家賃1.5万元(30万円)は払えるようですから、女に逃げられた中年男を心配する必要はなさそうです。またすぐに次が見つかるでしょう。

今回は上海の底辺で暮らす若者のお話です。

「粉粉緑緑」から「社会の底辺にいる惨めな人たち」を紹介します。


私は上海で働く外地人です。この大都市に来て3年、少し郊外にある工場で働いています。社会保険と積立金が引かれた毎月の手取りは8,000元(15万円)ほどです。

節約のため、家賃は極力抑えるようにしています。地元の農民がずいぶん昔に自分達で建てたと思われれるボロい住宅に毎月1,000元の家賃を払っています。

生きてはいけますが、クオリティ・オブ・ライフは低い方だと思いますね。

適当に食べて、たまに飲んで、毎月残るお金は雀の涙ほど。一人っ子ですし、実家も特に貧乏という訳ではないので、お金を貯める癖があまり身に付いていないのでしょう。

この大都市で私はずっと底辺だと思っていたのですが、新型コロナウイルス禍で近所の人たちのことを知ったことで、自分がそれほど底辺ではないことに気が付きました。

ここの大家さんの家には10数世帯が住んでいます。郊外ということもあり、この辺りは工場しかありません。だからここに住んでいる人たちはみんな工場勤務か、あとは物流か宅配などの仕事をしている外地人です。

すぐ下の階に40歳手前ぐらいの夫婦が住んでいます。話し声のアクセントを聞く感じ、安徽省北部の人たちでしょう。

この夫婦の女の方は工場で夜勤をし、男の方はおそらく宅配の仕事をしています。子供たちは、昨年の夏休みに数週間間滞在していたし、おそらく小学生だと思います。

私は一度引越したら、次に転職するまでは引越さない怠け者ですので、この夫婦より長く住んでいます。彼らは1階に住んでいるので、私が階段を上り下りするたびに彼らのドアの前を通らなければならないですし、家が狭いため夏は暑く、基本的にドアは開けっぱなしだから、だいたいはわかりますよ。

この夫婦は基本的に外食はしません。習慣なのか、野菜入りのバオズ(菜包)ばかり食べている気がします。とにかく、デリバリー注文しているのを一度も見たことがありません。

様々な包子と饅頭

いつもこの夫婦は私が仕事から帰ってくる時間帯に仕事に出ていきます。

私は底辺のことを理解していませんでした。ベンツやBMWに乗れない人のことを底辺と思っていましたが、ここに住んで初めて、社会は想像していたものよりもずっと厳しいものだと気づきました。

上海のロックダウンが続いた2ヶ月間、ここに住むほとんどの人は無収入で、ロックダウン前の賃金も3,000元(6万円)ほどだったと思います。少し良心のある企業だと、生活費の一部を補助してくれるところもあったみたいですが、微々たる収入であることに変わりはありません。

もし選択の自由があるとするなら、誰がこの夫婦のように、雨の中、工場に昼飯を届けに行くでしょう。夜勤で工場で働きたいと思う人はいるのでしょうか?しかしどんな仕事であれ、毎日お金を貯めなければなりません。これが底辺の運命というものなのでしょうね。

朝9時から夕方5時まで普通に働いている私は、今こうして窓際に立って行き交う人々を眺めていると、さまざまな感慨が湧き起こってきます。

私は自分が幸運と思えばいいのか、不運と思えばいいのかは、よくわかりません。まあ幸運だったのは、私は彼らほど一生懸命に生きる必要がないということだけでしょう。不運なことは、私の能力が彼らと比べて大して変わらないということです。ただ一つ違う点は、私は家族の重荷を背負う必要がないというだけだと思います。

だから今の時代に生まれたとしても、階級の殻を破って上に登らない限り、決して幸せにはなれないのでしょうね。私たちが日常決して接することのない上の人たち、彼らの生活は私たち底辺は絶対に体験できないし、近づくこともできないでしょう。

上漂(上海の出稼ぎ労働者)にしても、北漂(北京の出稼ぎ労働者)にしても、本当に大変なんです。誰だって故郷を離れたいとは思わないし、まして故郷を離れて辛い生活を送りたいとは思わないでしょう。

私が住む家からも、ロックダウン解除から1週間の間に、すでに3世帯が荷物をまとめて出ていきました。今回のロックダウンで多くの人が夢から目覚めたのでしょう。

昨晩は隣に住む河南省のお兄さんたち2人が、夜中に車で実家に戻っていきました。彼らは上海に失望したと思いますが、帰郷すれば家族の温かみが感じられるし、悪くはないかもしれません。

私も新型コロナウイルス禍以降、何度も実家に帰ろうかと考えましたが、やっぱりなかなか動けませんでした。今は少しずつ状況が良くなってきたし、なんとか乗り切れると思います。

一番辛かった2カ月間のロックダウンが終わったので、この街でもう少しだけ頑張ってみようと思っています。何の成果もなく帰郷するのは気が引けますから。上海にはがっかりさせられたけど、街そのものが残念なのではなく、ここにいる一部の人たちが残念なだけなんだと思います。

「嵐の後には凪がくる」と信じることにします。未来がより良くなることを願いつつ、この言葉を大都会で奮闘する外地人に捧げます。皆さん元気でありますように。

おわり


よかったらポチッとお願いします!
ありがとうございます!

にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ

いいと思ったらシェアお願いします!