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番外編:生物工学と美容学でアジア最高学位を持つブラックスワン

香港

2005年1月、私は香港にやって来た。会議とか商談とかの理由で滞在しているなら聞こえも良いのだが、私は、中国長期滞在用の「Fビザ」を取得するためだけに香港にいた。

当時、中国の「就業許可証」や「在学証明書」を持っていなくても、中国に最長で1年間滞在でき、おまけに何回も国境を出入りできる有能なビザが香港で取得できた。それがFビザ12ヶ月マルチだ。

贅沢できる身分でもなかった私は、ビザ申請代行業者がある「ネイザンロード」近くで探した格安ホテルに宿泊することにした。あの有名な「重慶大厦(チョンキンマンション)」の近くといえば、おおよその雰囲気はイメージできるのではないだろうか。

2坪ほどの部屋は昼でも薄暗く、常に排水音が聞こえ、まるで牢屋のようだったが、一泊250元という安さと、ビザ手続きが完了するまでの数日だけだからという安易な考えで、四泊分の支払いを済ませた。

観光やショッピングにさほど興味がなかった私は、適当に持ってきた本を片手に、イーストチムサアチョイの海岸沿いで見つけたカフェ「サンフランシスコ」で時間を潰すことにした。ホテルの部屋と比べたら天国だ。

読書にふけり、少し疲れたら目の前に広がる海とヴィクトリアハーバーの高層ビル群が一望できる景色を楽しみ、コーヒーを一口飲む、なかなか贅沢な午後のひと時である。

次の日も朝から同じカフェ「サンフランシスコ」にやって来た。気分はすでに常連客だ。ただ上海から持って来る本を間違えたようだった。すでに読書に飽きつつあった私は、行き交う人や、店内で会話を楽しむ人の観察を始めた。店の一番奥の席に、長髪のアジア人男性が読書しているのが見えた。彼はたしか昨日も同じ席に座り、すぐ横に10冊近くの本を高く積み上げていた。日本の文庫本と違い、海外の本は無駄にでかく、そして分厚いのだ。

気になった私は、コーヒーがまだ入っているカップと本を持ち、彼が座っている席に近いテーブルに移った。どんな本を読んでいるか、確かめたくなったのだ。

さりげなく本のタイトルに目をやると、中国語や英語の本の中に英語版の「宮部みゆき」の「クロスファイア」を見つけた。半年ほど前に読み終えた本だ。話しかける口実ができた私は、彼に声をかけてみた。

「宮部みゆき、お好きですか?私もその本は読みましたよ。昨日も同じ席にいたのを見かけましたが、毎日来て本を読んでいるのですか?」

彼は私の質問に丁寧に答えてくれた。自宅がすぐ近くで時間があるときはいつも本を何冊か持ってきて、同じ席で一日中、本を読んでいるそうだ。「宮部みゆき」以外の本も私に見せてくれたが、英語の本がほとんどで、作家の名前は覚えていない。

その後、何の話をしたかあまり覚えていないが、会話が終わりそうになったタイミングで、彼に1つの提案をしてみた。

「ところで、今晩、お時間はありませんか?私は一人で香港に来ていて、あまりこの街に詳しくありません。どこか(踊れる)クラブにでも一緒に行きませんか?費用は私が出します。」

常識的に考えれば、出会ったばかりの人にそんな誘いをするのは、頭がイカれているか、またはナンパ師ぐらいだろう。しかし直感で、彼は誘いに乗るだろうと推測した。そうすると彼が「私はクラブに遊びに行くほど若くはないので遠慮します。その代わり、今晩一緒にディナーはいかがですか?美味しいイタリアンレストランを知っていますよ。」

正直、クラブだろうがレストランだろうがどこでもよかった。一人の時間に飽々していた私は、喜んで承諾した。レストランの場所と時間を確認し、その場を離れた。

夜、約束の時刻にイタリアンレストランに着くと、オープンテラスの席に彼が座っていた。イタリアンは店内や店員の雰囲気を見れば、当たりかハズレかは大体わかるが、そのイタリアンは確実に当たりの方だ。

食事中に交わした会話の内容はあまり覚えていないが、ほとんどは私が質問をして、彼が答えるといった感じだった。

最後にコーヒーを飲み、会計のタイミングで「ここは私が払います」と告げると、彼は「このレストランは私が誘ったのですから、私が払いますよ」と言い、おもむろにカバンから黒い、今まで見たことがないタイプのカードを取り出した。

「ブラックカード」

私は無駄な抵抗を止め、素直に彼の好意を受け入れることにした。彼が会計を済ませてから私に言った。「すぐそばにおしゃれなバーがあります。まだ時間も早いですから、一杯だけどうですか?」

そのバーは、レストランから歩いて5分ほどのところにある、ラグジュアリーホテル最上階のバーだった。少し薄暗い広々とした空間には、落ち着いたBGMが流れ、私たち二人の他に数名の客しかいないようだった。バーからの眺めは、よくテレビや雑誌で紹介されているあの「100万ドルの夜景」だ。

レストランにいたときは、私の様々な質問に彼が答える感じで会話が進んだが、バーでは、彼が自身の生い立ちや今の仕事について少しづつ語り出した。

彼は1/2華僑系マレーシア人、1/4日本人、1/4イギリス人の血が混じったハーフだかクオーターだかよくわからない混血人で、生まれはイギリス、幼い頃に親によってカトリック教会に入れられ、以来、布教活動を行う神父に連れられて世界中を回る日々を過ごしたそうだ。幼少期から様々な国の言語に触れて来たため、今では10ヶ国以上の言語を扱うことができるらしい。

彼は小さいころから自分は出来が悪く見た目も醜いから、両親から勘当され、カトリック系の教会に送られてしまったと語る彼は、自分のことをブラックスワン(醜いアヒルの子)と呼び、自分の外観に重度のコンプレックスを持っていると話した。

ハワイ大学の教授として世界を飛び回り、生物工学や美容学に関する講義やセミナーで人前に立ってスピーチすることにも慣れたが、昔は、人と話すことを極度に嫌い、そのために刃物による皮膚の切断が専門のニューヨーク検視官、アマゾンの奥地に出向き、口紅に使うレッドカラーを植物から採取する世界的化粧品会社のリサーチャーなど、人とのコミュニケーションを避ける仕事ばかりしてきたそうだ。

彼の話す物語が、自分の理解の範囲を超えていたせいなのか、アルコールで酔いが回ったからなのかわからないが、最後の方は、想像するのも難しい状態になっていた。そのうちに彼が「私の家に来ませんか?」と聞いてきた。彼が検視官時代の話をしていた時に言った「私は完全犯罪もできますよ」というジョークが頭から離れず、断ろうと思ったが、「この建物のすぐ隣のマンションですから」という言葉にやられた。

「100万ドルの夜景が見れるマンション」

という好奇心が優ってしまったが、実はただ牢屋みたいなホテルの自室に戻りたくないだけだったのかもしれない。彼の部屋は本当にホテルのすぐ隣にある高級サービスアパートメントの高層階だった。そこまで広いとはいえないリビングルームだが、バーからの景色とほとんど変わらないハーバーのイルミネーションが一望できる贅沢な空間だ。

その晩は、赤ワインを飲みながら、ほろ酔いになっている彼から、マレーシア華僑の厳しい家族のしきたり、カトリック教の秘密、フランスの博士課程時代の話、ニューヨーク検視官時代の話、自分がアジアの生物工学と美容学の分野で一番高い学位を持つ人間の一人であることなど、私が住む世界とは別の物語をたくさん話してくれた。

彼の話はどれも好奇心を掻き立てる面白いものばかりだったが、私が上海で見た中国人の生活の急激な変化について話をしている時、彼は、中国を含むアジアの欧米化に対してかなり批判的だったことに自分が驚いたことを覚えている。

私は結局4日間だけ香港に滞在し、予定通りLビザが取得できたため、予約していた上海便のフライトで戻ることができた。あの晩の後、もう一度、彼に会おうとしたが、次の日からマレーシア出張だったため、結局、香港で一緒に過ごした時間は、あの晩だけだった。

それから私は上海に戻り、数ヶ月後には新しい仕事に就き、Lビザから正規の就労許可証を持つZビザに切り替えることができた。

オバマが大統領に就任した2009年の初夏、出張で上海に行くから会わないかというメールが彼から来た。

徐家匯にあるいかにも外人が好きそうなカフェ「ブルーフロッグ」で数年ぶりに彼と会ったが、相変わらず長髪で若々しく、スラリとした体型だった。初の黒人大統領であるオバマがスピーチの中で使った「チェンジ」というセリフが当時流行っていたため、私は彼に「アメリカは変わりますか?」と尋ねると、彼は素っ気なく「ナッシング・チェンジ」と答えた。

「オバマが大統領になるやいなや、AIPACでスピーチをしたし、何も変わらないだろう。アメリカはこれからも戦争を続けるよ。」

私はその時、AIPACが何かわからなかったが、後でググって理解できた。それは「アメリカ・イスラエル公共問題委員会」だった。

私は当時アメリカのIT企業に勤めながら、世界一の大国であるアメリカの政治にほとんど興味がなかったが、彼との会話で出てきた、アメリカとイスラエルの関係、オバマ大統領を後ろでコントロールする人たち、に興味が湧き、その頃から少しずつ調べるようになっていった。

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