2015年春、上海中心部の家の値段が平米6万元(110万円)を超え、家を持つ者と持たざる者の格差が一段と広がりつつある上海のフランス租界エリアで「出来ない君」と出会った。彼は現地採用の就業者として日系の内資企業で働いていたが、試用期間であったらしく給料が7,000元(11万円)ほどしかないと文句を言っていた。
私が上海に来たばかりの2000年初頭であれば、1万元に届かない給料であっても、少しはユトリある生活ができたかもしれない。しかし2015年当時、家の価格はすでに最高潮に近づいており、家賃も毎年値上がりしていたため、外人がまともな一人暮らし用アパートを借りようと思ったら少なくとも月6,000元(10万円)程度の家賃を見ておく必要があった。

「出来ない君」は60〜70年代に建てられた低層アパートの最上階、違法増築で追加された空間(屋根裏部屋)を年間契約して住んでいたが、不動産仲介屋が市場価格に20%ほど上乗せした家賃で契約させられていた。
ほどなくして仲介による中抜きに気づいた彼は、クレームをつけに仲介屋に乗り込んでいったものの、彼のつたない中国語では交渉できるわけもなく、逆に賃貸2ヶ月目で家を追い出されてしまった。
当然、敷金が戻ってくることもなく、さらにジリ貧になった「出来ない君」は「合租」と呼ばれる「ハウスシェア」の部屋を借りることにした。中国語に自信をがない彼に頼まれ、管理人との交渉のため「合租」のマンションに一緒に向かった。
その「合租」は築30年ほどの古いマンションの高層階の一室で、玄関ドア付近はモノであふれており、段ボール箱や荷物が無造作に置かれていた。迎え入れてくれた管理人らしき女性に、彼が借りる「部屋」について尋ねると、せまい廊下を抜けた先の、アコーディオンカーテンで仕切られたリビングの一番奥の一角に通され、このスペースだと言った。
ある程度は予想していたが、「出来ない君」が借りる予定の部屋は部屋ですらなく、しかも自分の「空間」に到達するには、他人の空間を通り抜けなければならない、なかなかの仕様だった。3畳ほどの「空間」にベッドはないが、シングル用マットレスが壁に立てかけてあり、子供用にも見える引き出し付きのミニデスクもある。「この部屋は鍵付きカーテンもあるし、プライバシーもあるから悪くないわよ。他の人たちは、カーテンすらないんだから。」と管理人が言う。あの部屋が週550元(1万円)の家賃に見合っていることを説明しながら、2箇所ある共同トイレやキッチンも見せてくれた。

内覧中ずっと顔を曇らせていた「出来ない君」だったが、一週間分の家賃550元と敷金の500元の合わせて1,050元を現金で管理人に渡したその時、玄関の方から若々しい女子の声が聞こえた。
男女共同ハウスであることがわかったからか、「出来ない君」が帰り際に随分と肯定的な発言をしていた気がするが、何を言ったかは覚えていない。
管理人の説明によると「合租」ハウスには常に5〜8人が住んでおり、そのほとんどは外地から上海に仕事を求めて来たばかりの若者で、仕事が見つかるまでの数日から数週間だけ借りる人がほとんどだそうだ。
ちなみに、このような管理人を中国語で「二房东」と呼ぶ。「二」が付かない「房东」は「家主」を意味する。「二房东」は「房东」と長期賃貸契約を交わし、家を「合租」用に簡易内装をした上で、複数人に貸し出すことで家賃を中抜きして稼いでいる。
その後「出来ない君」がどれほどの期間、その「合租」で暮らしたかは知らないが、風の噂によると、試用期間中にヘマをやらかし、正規社員になれなかったため、同業他社への転職という行動に出るも、前職の会社から次の会社への就労ビザの切り替えに失敗し、結果として数週間の不法滞在となり、罰金を払って帰国した。