2004年秋、私は上海でそこそこ名の知れた日本語学校の運営会社で働くことになった。仲が良かった上海人の親戚がその日本語学校の副社長をしていた関係で、総経理(社長)を紹介された形でいわゆるコネ入社というやつだ。
日本語学校のオフィスは、当時、日立やコニカミノルタなど、日本を代表する大手企業が多く入る瑞金大厦にあり、地下鉄一号線の陕西南路駅から徒歩5分、今では影も形もない茂名南路のバーストリートは徒歩1分、すぐ隣には格式ある瑞金ホテルの優雅なガーデンが広がり、誰もが羨むような立地にあった。

私の主な業務は、日本語学校のホームページ制作と学生向けフリーマガジンの発行だ。日本語学校を運営していた会社にも関わらず、私以外に日本人は誰一人いなかった。実は日本語の先生は、昔日本に長期滞在していた上海人が担っていた。彼らの日本語は多少の訛りはあったものの、本当に上手だった。
私は毎日、午前中は交通大学の中国語クラスに出席していたため、出社するのは午後1時だった。そのため会社の朝礼に参加することもなく、パソコンを開いて作業を始め、同僚たちが5時半に退社した後も、一人残って仕事を続けるといった日課だ。
ある日いつものように午後に出社すると、明らかに日本人らしき中年男性がオフィスにいた。少し気になりながらも、話かけることもなく仕事を始め、一息ついたたタイミングで席を立ち、非常階段の踊り場にある喫煙スペースに向かった。
マルボロ一箱に2000円近く払っていたロンドンから上海に来た愛煙家の私は、タバコが5元(90円)ほどで買えるこの街を天国のように感じていた。

非常階段の薄暗いスペースでひとり「中南海」のタバコに火を着け、一息入れたところで、さきほどの日本人らしき中年が軽く会釈をしながら入って来た。「まさか僕以外に日本人がいるとは思わなかったけど、よろしく、今日から日本語教師として働くことになりました、XXです」と挨拶しながら、彼は手に持っていたタバコに火を着けた。
それ以来、彼とは喫煙スペースで毎日顔を会わせるようになり、次第にお互いの身の上話もするようになった。神戸出身だという彼は、中国語は話せないが、地元になんとなく雰囲気が似ている上海での生活が気に入っていると言う。1年半前に購入した上海郊外のマンションが完成し、内装も済んだため、日本のマンションを売っ払い、上海に移住してきたそうだ。
日本にいた時は、携帯電話に使われる部品を製造する会社のオーナーとして華やかな生活を送り、金に群がる女性たちと関係を持ち、一人また一人と結婚と離婚を繰り返し、気づいた時には五人と離婚していた。「僕は人がいいから、結婚してあげないといけないと思ってしまうんですよ」仕方ないだろうとでも言いたそうなジェスチャーを交えて説明する。
彼が女性にモテるのはなんとなくわかった。少し陽に焼けた健康そうな肌、ふさふさの髪、スラリとした体型で背も低くない。そして発する言葉や仕草が少しキザで、いわゆる「ちょい悪オヤジ」なのだ。
そんなモテて仕方がなかった彼も、毎日8時半の出勤時間に間に合うために、朝5時に起き、路線バスを2つ乗り換えて出社する日本語教師になっていた。彼は人生最後となるかもしれない伴侶に上海人女性を選び、娘が生まれ、当時まだ地下鉄が通っていない郊外に建つマンションに住み、毎朝バスで2時間かけて通勤していた。

ある日彼は相談があると言って私を喫煙に誘ってきた。タバコに火を着けながら「〇〇さんは、ホームページ制作ができるんだよね?実は今、あるビジネスアイデアについて考えていて、、」と話し出した。
彼が考えているビジネスは、田舎に暮らす結婚相手を見つけるのが困難な中年の日本人男性に、若い中国人女性を紹介する国際結婚仲介サービスをネットを介して提供するものだった。中国人女性の登録は無料、日本人男性は有料で会員になってもらい、気になる中国人女性の写真やプロフィールが見れ、お気に入りがいたら、女性に連絡方法を伝えることができる、といったものだ。

結婚で5回失敗した経験から生まれたビジネスアイデアだと思うと感慨深いものがあったし、何より面白そうではあったが、話を突き詰めていくと、制作費はわずかしか出せない、利益が出た時点でシェアする、など後々問題しか起きないと判断し、無料で相談に乗れる部分だけ対応させてもらうとだけ答えた。
その後、喫煙エリアで会うたびに、国際結婚仲介サービスについての技術的な課題やマネタイズ方法など、できる限りアドバイスをさせてもらったが、しばらくして私がIT企業への転職が決まったため、日本語学校を辞めることになり、XXさんとも会う機会がなくなってしまった。
離婚5回というインパクトが私の中で相当大きかったのか、その後も、XXさんのことを度々思い出すことがあった。2012年ごろに1度だけ、地下鉄10号線の車内で見かけた。すでに60才を少し超えている年齢のはずだが、相変わらず若々しい風貌で、私は少し安心した。よっぽど声をかけようか迷ったが、夕方のラッシュアワーで車内は混んでおり、彼も、黒い通勤バッグを抱えてサラリーマンのような見なりだったため、あえて声をかけず、そっと見送ることにした。