中国メディア「趙奔奔奔」から「マイケル・ジャクソンの中国への愛は、1987年の広東省への旅行だけではない」を紹介します。
マイケル・ジャクソンは「永遠のスーパースター」と呼ばれているが、これは音楽業界において特別な意味を持つ呼び名だ。彼は世界中に多くのファンを持ち、何年も前に亡くなったにもかかわらず、彼の音楽は未だ色褪せず、彼の音楽作りのセンスは時代を超え「世代に関係なく影響を与えた」と言われている。
マイケルは、その音楽的才能だけでなく、公人としての責任においても模範的なスターだった。

マイケル・ジャクソンのスマートな対応
マイケルのファンは世界中にいるが、中国にも彼のファンがたくさんいる。スーパースターとして世界中でコンサートを行ってきた彼は、かつて中国大陸でのコンサートを希望していたが、残念ながら合意には至らず、実現しなかった。
しかし、このような些細なことがメディアで取り上げられ、ちょっとした騒ぎになった。マイケルは生前、どこにいてもメディアから多くの罵詈雑言を浴びせられ、ジャーナリストたちは彼が発する言葉をすべて記録、分析し、何かあれば揚げ足を取ろうと躍起になっていた。
今から30年前、マイケルは日本のジャーナリストから「世界中でコンサートをやっているのに、なぜ中国でやらないのか?」と聞かれた。
質問はいたってシンプルに聞こえるが、鋭いものだった。国家に関する質問だったため、もしマイケルがまごつこうものなら、明日のヘッドラインは「ジャクソンは中国を軽蔑している」となるかもしれない。
ところが驚いたことに、ジャクソンは中国の台北でコンサートをしたことがあると、とても真摯に答えたのだ。
彼のこの発言を聞いた日本の記者は凍りついた。日本が、「台湾は中国の一部である」という揺るぎない信念にケチをつけ、台湾の分離を望んでいることは、誰もが知っていることだ。もちろん、マイケルの母国であるアメリカをはじめとする西側諸国も、多かれ少なかれ同じような考えを持っている。
言うまでもなく、マイケルの「同業者」、つまり中国のファンに人気のある大物スターの多くも、ソーシャルメディアで他国の領土保全を貶めるような皮肉な発言をしている。
それに対してマイケルの返答は、ウィットに富んでいるだけでなく、中国への敬意が感じられる。マイケルは公人として、有名人としての地位を利用してものを言うのではなく、言葉に気をつけ、自分の発言に責任を持つのは当然のことだろう。このことは「多くのスターがいるにも関わらず、マイケルのように永遠に記憶に残るスターが少ないのか」を理解することにもつながっている。
マイケルは、国や人種の問題に関しては常に前向きで、何十年も前に自身のミュージックビデオで差別撤廃を訴え、様々な国や肌の色のファンに平等に接してきた。
マイケルの中国への愛着
マイケルは、中国大陸でコンサートをしたことはないが、実は1987年に一度だけ広東省を訪れている。大人数ではなく、数人のスタッフと通訳ガイドを連れて、観光気分で遊びに行ったことがあるそうだ。
彼が訪れたのは普通の村で、村人たちはアメリカの音楽に触れたことがなく、当然、彼がスーパースターであることも知らなかった。
その訪問者がマイケル・ジャクソンであることを村人たちが知ったのは、ずいぶんと後になってからだった。彼らの記憶では、あの外国人は中国語もわからず、少しおっちょこちょいだが礼儀正しく、面白い人だった。また、マイケルが道路脇の畑を耕している牛を見て、写真を撮ろうと外に出たところ、牛が近づいてきて彼を驚かせたという小さな映像も残されていた。

マイケルが民家を訪ねたいというため、ガイドが鄭(ゼン)という名前の家を探してきて、今は亡きおばあさんが迎えてくれた。帰り際、マイケルは老人の手を取って「写真を撮りたい」と言った。その後、周囲を見渡してみると、鄭家の状態があまり良くないことが分かったため、おばあさんに「お金はどれくらい必要ですか?」と尋ねた。
おばあさんは「お金はいらない」と言ったが、マイケルは「半日相手をしてもらったお金だから」と言って、おばあさんに2,000香港ドルを彼女のポケットに入れた。農家で生計を立てている鄭家にとっては、決して少なくない金額だったはずだ。マイケルが帰る時「お金は足りていますか?」と聞いてきたが、おばあさんは「もういいよ」と言い、後で息子に「あの外国人は気前がいいね」と言っていたそうだ。

ポップスターよ永遠なれ
マイケルは子供が大好きで、子供たちが静かに自分を見ているのを見ると、挨拶したり、写真を撮ろうと声をかけたりしていた。
今でも多くの村人が彼の写真を家に飾っている。これらの写真は、マイケルが連れてきたカメラマンが撮影したもので、マイケルが出発した後、香港に転送して現像してもらい、サインをして送り返したものだ。

マイケルが中国に滞在していたのはわずか数日だったが、その時に出会った村人たちが彼のことを口にすると、皆が「この外国人はとてもいい人だ」とうなずいた。スーパースターというと、雲の上の手の届かない存在だと思われがちだが、マイケルは明らかにそれとは違っていた。ステージ上では派手なパフォーマンスをするマイケルだが、ステージを降りた後は、謙虚で礼儀正しく、観客やそこにいるすべての人への敬意を忘れない人だった。
マイケル・ジャクソンは何年も前にこの世を去ったが、いまだに人々の心に残っている。ステージでの存在感や個人的なカリスマ性など、彼はファンに自分を愛する「価値」を感じさせることが非常に上手だった。
音楽業界は、ほとんどのスターが流れ星のように一瞬の輝きとともに消えていき、ごく一部のスターだけがずっと記憶に残る、過酷な業界の一つだ。一部の忘れられないスターには、光り輝くオーラがあったからだろう。しばらくすると人の記憶から遠のいてしまうこともあるが、見覚えのある名前を見聞きするたびに、やはり「この人は愛されるべき人だ」と感じることだろう。
おわり

こんな時代だからこそマイケルが必要なのではないのかね?
ブログタイトルとは関係ない内容の記事が増えてきたような。