中国メディア「静夜史君」から「アメリカの泥棒船には乗りません、ベトナムはやっと学んだ?いや怖いだけだ」を紹介します。

狡猾で実利的な国、ベトナム。
8月も終わりが近づき、朝晩は暑さもわずかに和らいできたが、このところ、バイデンは仕事に燃えているようだ。アフガニスタンでの戦略的撤退のごとく、超大国アメリカは、年老いた大統領のように、総合的な国力は依然として際立っているが、着実に無力化しつつある。さらに重要なことは、アフガニスタンからひっそりと離れるつもりが、混乱を残す結果を招いてしまった。アメリカの名声は地に落ちてしまったわけだが、一部のアジアの舎弟国は、アメリカなしでは何もできないと繰り返し言っている。
そこで、バイデンの右腕であり、将来的には女性初のアメリカ大統領になる可能性があるカマラ・ハリス副大統領が、同盟国を元気づけるという重要な任務を引き受けた。この女性政治家は、まずシンガポールを訪問し、次にベトナムに向かった。新米のくせに、古びた道を通って中国に苦言を呈する決意は変わっていないようだ。
シンガポール訪問はいつものように乗り気だったが、ベトナムはそれほどでもなかったようだ。思わせぶりな「ハバナ症候群」を理由に、ハリス・チームは激しいイデオロギー闘争の末、3時間遅れでようやく到着した。ベトナムのファム・ミン・チン首相が中国の大使と電話会談し、「ある国と協調して他国に対抗するつもりはない」と発言したのは、この3時間の間に起こったことだ。
これはアメリカにとってかなり恥ずかしい状況と言える。挑発的なアメリカがベトナムに向かっている間に「噂をすれば影がさす」状況であっては、赤っ恥をかくのはアメリカの方となる。
ハリスは、自分が恥ずかしくない限り、恥ずかしいのはベトナム人だと判断したようだ。ベトナム訪問後、ハリスはハノイにあるジョン・マケイン記念館に献花し、「マケインは私たちの国を愛した英雄である」と語った。

この自虐的な挑発に対して、ベトナムのネットユーザーたちからは不満の声が上がった。ベトナムをさらに呆れさせたのは、アフガン戦争の敗北の洗礼を受けた後、ハリスは最低限の隠蔽工作すらせず、ベトナムのグエン・スアン・フック大統領に直接、中国側に国連海洋法条約を遵守させるための圧力をより一層かけ、中国によるいじめや過激な行動、海洋権益の主張に異議を唱える必要があると述べ、アメリカの軍艦がベトナムを頻繁に訪問することを強調し、発言の節々に反中国的な意思や脅しとも取れる言葉を交えたことだ。
一方でベトナム側が示した態度はとても複雑なものだ。米越会談での控えめな態度はもちろん、中国との事前の電話会談は、ベトナムが再びアメリカの船に乗りたくないという気持ちの表れである。
ではベトナムは、持つべき脚本を間違えたのか? かつては「殴ることは亲しみの印で、叱ることは爱の印だ」の国であり、アメリカに対しても「けんかをしなければ友達になれない」ベトナムだが、なぜアメリカと一線を画すことを選んだのか。果たして20万人分の新型ウイルス・ワクチンが効いたのか? ベトナムの疫病予防は、たった一回のデルタ株でほぼ壊滅してしまったわけで、中国製ワクチンは幸運であると同時に命の恩人でもある。

もちろん、小国でありながら野心的なベトナムは、ラオスとカンボジアを統一してインドシナ連邦を再建したいという夢を常に持っており、それは中国の利益とは必然的に正反対のものとなる。だからこそ、ベトナムは統一以来、ずっと中国が築き上げた道を拝借し、ソ連崩壊後はアメリカと共謀し、20年におよぶ米越戦争で憎み合うどころか、アメリカとベトナムの関係は非常に友好的なものであった。
今回ベトナムが、アメリカを軽視している理由は、私の意見では、アメリカのアフガニスタンでの悲惨な戦争が直接の原因である。
アメリカという超大国が暴走族のようなタリバンごときに負けるとは誰が考えただろうか。アフガニスタンは北朝鮮や北ベトナムとはまったく異なる上に、タリバンを背後で直接的に支援している近隣諸国はいない。このような状況で戦争をするのは簡単ではないはずだ。そして、アメリカの敗北は敗北なのだが、他国の足を引っ張ったり、人の代わりに犬を撤退させたりしているあの様は一体何なのか?アメリカのために働く人たちの命は、犬よりも軽いというのか。
それゆえ、気迫に満ちて出来もしないことを語るアメリカを前にして、ベトナムはますます自信を失っている。ご存知の通り、アメリカはカブールで大混乱に陥っていた。46年前のサイゴンの様相と似ているどころかまったく同じで、CH-47チヌーク・ヘリコプターまでもが同じようなパニックに巻き込まれていた。
サイゴン陥落は北ベトナムにとっては最高潮であったが、しかしアメリカの操り人形の多くは、アメリカのための命ではなく、「自由」や「民主主義」という病を抱えており、そのような戦力は簡単にへし折られてしまう。
したがってベトナムはどんなことがあっても、アメリカと同じ船に乗りたくないと思っている。ベトナムは中国と良好な関係を築き、安心安全に、食べて飲んで、共に平和に暮らす方がいいのではないだろうか?
結局、アメリカがベトナムを引き込むことはほぼ不可能で、ベトナムは必ず「暗きを捨てて明るきに投ずる」ことを選択するだろう。
本当にそうだろうか?私はもちろんそうとは考えていない。そしてアメリカもベトナムもそんなことは望んでいない。
ベトナムがアメリカに見捨てられることを心配しているのは事実だ。何しろ、最後の兄貴分だったソ連が崩壊したとき、ベトナムは事前に知らされていなかったのだから。しかし、ベトナムにはまだ「自由」や「民主主義」を求める心があり、それは歴史や現実など、さまざまな要因が重なって決まる。
ここで簡単にベトナムの近代史を見ておこう。中国の中原王朝の圧政に対抗して、ベトナムは独立後800年以上にわたって南下し、最終的にメコンデルタを獲得した。同時にベトナムはインドシナ半島も強奪し、ラオスとカンボジアを虐げて自分たちを中心とした「南の小中国」を作っていたが、1883年の中仏戦争でフランスの植民地に成り下がってしまった。
フランスのインドシナ植民地化はわずか数十年の短い間だったが、ベトナムはかつてないほどの大きな影響を受けた。例えば、キリスト教が猛烈な勢いで広まり、特に南部ではキリスト教色の強い、西洋的な習慣が広まった。
第二次世界大戦勃発後、ドイツによるパリ占領の前にフランスは速やかに降伏し、インドシナはフランスの植民地として日本に接収された。 第二次世界大戦末期、アメリカはソ連に対抗して中国を引き込むために、中国とイギリスを16度線で降伏させた。
中国の駐留軍の存在は、国家の独立を目指していた北ベトナムのホーチミン政権を動揺させた。ホーチミンはアメリカにべったりだったが、ベトナムよりも中国の方が価値があったので、ホーチミンの主張は無慈悲にも無視された。このとき、ホーチミンはフランスと手を組んで南京の国民党政府を追放したほどだ。
ホーチミンが狼を本気で家に引き入れたのは、フランスが宗主国としてベトナムに戻りたいと思ったときだった。北ベトナムが確固たる後ろ盾を持つようになったのは、新中国が建国されてからである。
スターリン時代には、ホーチミンをインドシナ半島の信頼者と見なしていたが、ソ連は北ベトナムをアメリカの手に落ちないように新中国に「託した」のである。しかし、フルシチョフ時代以降、ソ連とベトナムの関係は、特に1950年代後半の中ソ戦争を境に急速に温まり始め、ソ連は北ベトナムを新中国との強力なライバル関係に持ち込もうと躍起になり、それが北ベトナムがフランスやアメリカの侵略者を次々と打ち負かすことができた根本的な理由となった。
1969年、ソ連と中国の間に挟まれていたホーチミンが亡くなり、レズアンが任務を引き継いだ。
この頃になると、北ベトナムの勝利の兆しがはっきりしてきて、インドシナ連邦化の野望が膨らみ、ついに中国の逆鱗に触れた。

南北ベトナムの統一は、中国にとっても利益にはならないため、中国とベトナムの関係は一転して悪化し、レズアン政権は最終的にソ連に屈することになった。
1972年に米中関係が正常化した後、アメリカはようやく「尊厳を持って」軍を撤退させる機会を得たが、1975年には混乱した状態の中で帰還した。
統一後、ベトナムはすぐにインドシナ半島の再統一運動に乗り出し、中国を挑発し、苦い中越戦争にまで発展した。
中越戦争は、ソ連を崩壊させる最後の藁として、ベトナムにとっては正に悪夢となった。10年以上の戦争の後、ベトナム北部の産業は破壊され、経済は長い間停滞し、インドシナ連邦の夢は打ち砕かれた。
1991年のソ連崩壊後、後ろ盾を失ったベトナムは中国に平和を求めなければならなくなり、両国の関係は徐々に正常化していった。
しかし問題は、ベトナムが短期的には「インドシナ連邦」の統一という目標を捨てたとしても、生存のためにはやはり闘わなければならないということだった。
地図で見ると、ベトナムは南北に細長く、東西に奥行きがなく、面積が小さいために資源も少なく、長い海岸線を持つものの「九段線」はさほど遠くない。
前世紀に南シナ海で豊富な石油・ガス資源が発見されて以来、近隣諸国は激しい奪い合いを始め、九段線が分断された。
これらの国の中で、ベトナムは最も多くの島や岩礁を盗んでおり、これらの島や岩礁はベトナムに豊富な石油・ガス資源をもたらし、ベトナムの輸出収入源にもなっている。

つまりベトナムにとっては、盗んだ南シナ海の島や岩礁が本当の意味での生命線なのだ。そして彼らは太古の昔から中国とは切っても切れない関係にある。
中国が経済的にも技術的にも手が届かなかった時代、ベトナムは南シナ海で大儲けしていたが、中国が強大になるにつれ、当然、中国は自分たちのものを一歩一歩取り返していく、それはベトナムの生活を奪い取ることに等しいため、ベトナムは「土地の隅々まで争う」に決まっているのだ。そして強さが足りない場合、結局、アメリカに頼るしかない。
だからこそ、アメリカは南シナ海で大騒ぎをしているわけで、アメリカがワクチンを送ろうが、枯葉剤を送ろうが、ベトナムが喜んで受け取らない理由はない。
アメリカとベトナムが仲良くしているのは、ある程度、自分たちの思い通りになってきた歴史があることに加えて「火のないところに煙は立たない」という考え方もある。
つまり、ベトナムにとっては、「インドシナ連邦」や中国に対するヘッジがなくても、いわゆる生き残りのためにアメリカと手を取り合って働かなければならなかったわけだ。

中華文化圏の他の国と同様に、ベトナムもホーチミン時代に漢字を廃止するなど、常に中華文明との関係を避けようとしてきたが、文明は変えられるが、山と水の環境は動かしがたい。
革新開放された今のベトナムは、とっくに劇的な改革に乗り出していて、どんどん欧米に近づいているが、アメリカは結局のところ、自分の父親でもなく、欧米を受け入れても「鴨が葱をしょって来る」状態になるだけであり、言ってしまえば、ベトナムの将来の展望はあまり良くないということだ。
おわり