中国メディア「黒馬公社」から「専門家が提言:電気自動車はさらに環境に優しくない」を紹介します。
黒馬公社へようこそ。
最近「電気自動車は二酸化炭素の排出量を減らすどころか増やしている」という意見を目にした。
脱炭素社会が始まった1年目だというのに「電気自動車が二酸化炭素の排出量を減らすのではなく、増やしている」と考える人がいるのはなぜなのか。
疑念を抱きながら、黒馬公社はニュースの全文を確認することにした。

これは、深圳で行われた「脱炭素神話と現実的な道筋」と題した講演で、オーストラリア国立工学アカデミーの外国人会員であり、南方科学技術大学イノベーション学部の学部長を務める劉科氏が、脱酸素に関する6つの誤解について解説したものだ。
その中で「エネルギー構造が従来と変わらず、電力網の67%以上が石炭発電を使用している場合、電気自動車は炭素排出量を増加させている 」と述べている。
電気自動車に使われる電気は、発電所で燃やされた石炭から作られており、環境を汚染するだけでなく、二酸化炭素の排出量を増やすことにもなっている。
つまり電気自動車は、二酸化炭素の排出量を発電所に移しているだけで、エネルギー構造は変わらず、さらには二酸化炭素の排出量を増やしていることになっている。
本当にそうなのだろうか?
最近、非営利団体の研究機関であるICCT(International Council on Clean Transportation)が、電気自動車がより環境に優しいかどうかについての報告書を発表した。彼らは、2021年に登録された車両が、その後18年間走行すると仮定した場合に限り「電気自動車は、使用する電力網の形態にかかわらず、燃料自動車よりも環境に優しい」と結論づけた。

報告書によると、電気自動車の生涯排出量は、中国ではガソリン車に比べて37〜45%、インドでは19〜34%、米国では60〜68%、欧州では66〜69%低くなるという。
この報告書は、2021年に中国、インド、米国、欧州で登録された中型電気自動車の温室効果ガスの排出量をサンプリングしたものだという。これらの国と地域で、世界の新車販売台数の70%を占めているため、このデータの信憑性はかなり高いといえるだろう。
注意すべき点は、ICCTは、電気自動車が燃料自動車に比べて環境に優しいと結論づけているが、電気自動車からの廃バッテリーの処理は考慮されていないことだ。
では、電気自動車で消費されるバッテリーを考慮した場合、電気自動車は環境に優しいのか、それともそうではないのか、黒馬公社では結論は出せない。

代わりに黒馬公社は、「電気自動車の発展を大きく推進する必要がある」理由について、簡単に説明しておこう。
まず、街中を走りながら排気ガスを排出する従来の燃料車に比べて、電気自動車は汚染のほとんどを発電所に留めることになる。そうすれば、電気自動車により二酸化炭素の排出量が増えたとしても、燃料車が走り回るよりも管理がしやすくなるのは確かなはずだ。
やはり、点と面では大きな違いがあるのではないだろうか。
次に、国が電気自動車を開発する理由は、石油の輸入を減らし、将来的には石油への依存から脱却するとともに、戦略的に石油を備蓄しておく必要があるためだ。
最後に、従来の燃料車の技術的な閉塞感を回避するためだ。海外の自動車産業は国内よりも早く発展しているため、中国が追いつきたいと考えている主要な技術や製品にはまだ性能差がある。
しかし、電気自動車の開発においては、誰もが同じスタートラインに立っており、3つの主要コンポーネント(バッテリー、モーター、電気制御)において、国内企業の中にはすでに外資企業よりも先に進んでいる部分もある。今回、自動車産業の発展の歴史の中で、中国はついに世界の最前線に立つことができるようになったのだ。

黒馬公社は、上記のこれらの理由から電気自動車が「新エネルギーとは言えない」と推測しているが、国としても電気自動車の発展を強力に推進したいと考えている。
電気自動車はまだ完璧なものではないが、燃料車を追い越すため、戦略的備蓄量を確保するため、そして環境を保護するために、私たちも電気自動車の大いなる発展に寄与しなければならない。
ローマは一日にして成らず、電気自動車の未来はますます良くなっていくでしょう。
おわり
2004年の春、同僚の日本人に連れられて、会社近くにあるローカルのカレー屋にやってきた。当時、上海の市街地は開発ラッシュの真っ只中で家の取り壊しか建築工事ばかりだったが、まだ街中でも古い街並みがかなり残っていて、カレー屋もそんな古めかしいレンガ作りの家の一階に入っていた。
まだ「ココ壱」すら進出していなかった時代。日式カレーが食べれると期待していた私の机に出されたカレーはやたら黄色だったが、味は見た目ほどは悪くなく、おいしいカレーだった。
私たちの後にやってきた近所のおばさんらしき人は、鍋を持参してカレーを買いに来ていた。「随分と意識が高いな」と関心したものだが、後日、そこのカレーを今度は「持ち帰り」で買って、会社で食べようとした時に気づいた。
白米が入っている白い発泡スチロールの箱の底には、発泡スチロールのくずがかなり入っていて白米と同化していたのだ。
「そりゃあ鍋持参するよな。」